思春期高校生男子と大学受験生女子と、キラキラ女子大生の母ちゃん幸子(さちこ)です。
子育てが大変だ・・・と思ったことは、思春期になるまでほぼなく(次女の体が弱かったことぐらい)、中学生になった息子が思春期になって、はじめて子育ての大変さを噛みしめている母です。
このブログでは、思春期男子や受験生女子との暮らしを通して発見した【ハピネス】になるきっかけをシェアしていきたいと思っています!
三人の子の母、幸子の自己紹介 ~幼少期から学童編~
親の生育環境は多少なりとも子供に影響すると思いますので幸子の自分語りを聞いてください笑
幸子は北海道で誕生し、地方公務員であった父の転勤について周り、札幌豊平区→北広島→登別→留萌→根室→北広島で高校生活を送っていました。
父は大学時代訪れた、北海道の魅力に取りつかれ「北海道の林道を作る事業に携わる!!」と心に決め、北海道庁に就職したそうです。母は、そんな父のところに嫁ぎました。
二人とも東京出身なので北海道に身寄りはなく、なおかつ3年ごとの転勤が必須の生活だったので、引っ越した先でその土地になじむスキルが高まり、北海道のあちこちに仲の良い人たちが増え、いつも来訪者が絶えない家でした。また親戚が周囲にいなかったので、家族の関係性が密だったと感じています。
印象的だったのは留萌に引っ越した時です。私が小学校四年から中2まで一番長く過ごした土地でした。そこでカトリック教会が運営するガールスカウトに入隊し楽しい神父様と韓国旅行へ行ったり、学校の友達も一生付き合える友人ができて穏やかな時代を過ごせました。留萌時代の友人はファミリーと呼び合っていて今も年に一度は会って尽きることのない話をします。
勉強してより良い環境へ行きたい!~思春期編~
しかし、時が過ぎて思春期の頃、中学生で留萌から中学2年で根室に引っ越した際は、転校した先の学校が荒れていてとても辛く毎朝、号泣してから学校に通いました。当時は不登校という選択肢もなく、鬱みたいな感じでしたが、学校で涙を堪えて生活していました。なんのために生きているんだろうと一番考えたのもこの時期です。
そんな時、3年生になると教師が足りなかったのか、担任の佐藤義昭先生が社会のほかに英語を教えるようになりました。義昭先生の授業が面白く、とてもわかりやすいので自宅で勉強をするようになり、塾は伝説のウェイクフィールド英語塾で故・川辺智明先生から英語の楽しさを存分に学び、定期テストで高得点を取れるようになったのです。
通っていた中学のレベルが恐らく、北海道では最底辺にレベルであったとはいえ、勉強が前よりもできるようになったことは、目的なく生きていた中学生の心を奮起させました。
「勉強面白い!勉強ができるようになって、この場所から抜け出したい!」と強く思うようになり、受験勉強した末に元住んでいた北広島の高校へ進学することになりました。
受験期に、佐藤義昭先生と、川辺智明先生に出会えたこと、また荒れていた学校に転校したこと、全ての機会があり今につながっていると思うと人生のパズルの精巧さに驚きます。
中学校が荒れていなければ、勉強して抜け出したいと思わなかっただろうし、先生たちと出会わなければ勉強の方法もわからなかったので・・
佐藤義昭先生と川辺智明先生の話はまた別記事で話したいです。
北広島高校から中央大学へ
北広島高校は、札幌の進学校東西南北高校には遠く及びませんが、大学は進学しよう!という生徒が大半でした。成績上位の人は北大へ、それ以外は道内の私大や短大へという生徒が殆どです。
私は根室時代に芽生えた上昇志向で、「東京の大学へ行きたい!」(数学が壊滅的にできないため、北大は×。私大しか選択肢がなかった)と思い、同じクラスのやはり東京のお茶大を目指していた友人と恋バナしながら受験勉強してました。
当時、地元では塾も皆無に近くて、代ゼミの夏期講習だけ講座をとるというスタイルが北海道に住む大学受験生の実態でした。今地元に帰るとたくさんの塾が乱立していて驚きます。現在こどもにかけてる教育費を思うと昔はよかったなぁと感じます。
そんなこんなで、中央大学になんとか受かり、国立でカトリックの寮生活が始まりました。
学生寮の生活、自転車サークルで夫と出会う
国立はドラマのロケ地にたびたび使用される、桜並木の大学通りと一橋大学があることもあり学生があふれるおしゃれな街でした。
学生寮には全国のカトリック系私立高校から、東京の大学に入学した面白い仲間がたくさんいて、門限が9時半と早かったのが難点ですが、毎日が友達と爆笑お泊り会状態。
途中一人暮らしを試みるも親の反対にあい実行できず、四年間この寮にいましたが22歳までの人生でこの時が一番破天荒で楽しかったです。寮の友人は大大親友で老後は一緒にまたホームに入ろうと話しています。
大学のサークルは自転車サークルに入り、一つ先輩の夫と出会いました。
その後氷河期世代の罠にはまって、就職浪人。北海道へ戻ります。
ミスメロンから富士通のショールーム勤務へ
北海道庁の臨時職員をしつつ、近所の人の勧めでミスメロンに応募し、4人のうちの1人に任命され日本各地や夕張の映画祭などで仕事をさせてもらいました。
映画が大好きだったので、映画祭でゴダールのミューズ、アンナ・カリーナさんや、大林 宣彦監督、テルマエ・ロマエの阿部寛さんとお会いできたことがとても良い思い出になっています。また、当時のミス職は相応の日当が給付されたので、今の無給に近いミスとは違って待遇がよかったです。
その後、仕事は富士通のショールームに勤務することになり、オフィスの講座や大手企業の新人パソコン研修などに携わりました。
結婚・出産・在宅ワーク・起業
ここまで読んでいる人がいるかどうかわかりませんが、その後結婚とともに本州へ戻り、子供を立て続けに3人出産。仕事はやめてしまいました。子供が幼稚園に上がるときに働こうと思いましたが、夫が子供が心配なので、外に働きにいかないでほしいと強く要望し、専業主婦生活に。
でもお小遣いが欲しいな、と思ったので、ネットで検索しアフィリエイトなるものと出会います。
当時はアフィリエイト広告を提供する、楽天リンクシェアやA8さんではイベントを頻繁に行っていたため、そこでの友人もたくさんできました。格安SIMのサイトを作成したところ、格安SIMの導入期だったこともあり大当たりし、まとまった金額を得られるようになったので、一人会社を起業しました。
中小企業診断士の資格取得勉強中
会社を経営中に借りていたシェアオフィスのオーナーが独立中小企業診断士で、業界では有名な方でした。その先生に廃業のご挨拶に行った際、診断士資格取得をすすめてくれまして、私は受験科目(一次七科目、二次筆記試験4科目)の厳しさも知らずホイホイとこの資格取得の勉強に身を投じたのです。
ちょうど、娘二人が高校受験と大学受験だったので、一緒に勉強すれば子供への刺激になるだろうとはじめたものの、私はストレートでは合格せず、浪人生活をしております笑
親が勉強すると、子供が勉強するという都市伝説がありますが、これはその子の資質によります。
私が勉強してても、別に子供がその影響で勉強するようになるという効果はありませんでした笑
ただ、スマホをソファーでいじっているよりは、机で勉強している姿を見せることで、テスト前だと子供はプレッシャーを感じるようで、目の前でゲームしたりということの抑制にはなる時はなります(爆)
目下のところは、私なりの思春期のトリセツを作るべく、コミュニケーション方法などを学んでいる最中です!
思春期の子供との嵐のような生活に、ハピネス成分を数えて過ごしたいです♪
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